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てつろうのblog

考えをかたちに、記録に。

言葉との適度な距離

先日、NHK Eテレの「ミュージックポートレイト」に

松本隆さんが出演していたのを見ました。

作詞家、というと僕は阿久悠さんか松本隆さんが真っ先に浮かびます。

シンガーソングライターがたくさんいる今の時代で、自分の職業は作詞家、と

言える人は意外と少ないんじゃないでしょうか。

 

僕は小説にしても、詩にしても、読み手の想像力を掻き立てるような

言葉の表現がとても好きです。

茨木のり子さんの「詩のこころを読む」はどの言葉も丁寧で品があるし、

爆笑問題太田さんの小説、とくに「文明の子」の言葉は人間に対する愛が

溢れているし、

向田邦子さんの言葉はしぐさや情景だけで上辺にはない真実を浮き彫りにします。

(実は向田邦子の本はちゃんと1冊読んだことがありません…ごめんなさい)

松本隆さんの作詞も同じように、切なさだったり寂しさだったり大きな愛だったり、

詞を通して間接的に読み手が感情を読み取る作品がたくさんあると思います。

 

この、「間接的に」というのがとても大切だと思っていて、

僕は自分が解釈したり読み取ったりする対象になる言葉にはなるべく

「適度な距離で」向き合いたいと思っています。

 

例えば悪口や罵倒、批判的な言葉や考えは思い浮かべば浮かぶほど

自分自身が嫌な気分になるし、逆に感謝や幸せを直接的に伝える言葉や考えは

他者依存的になってしまうことがある。高揚感を煽るような言葉や考えでは

必要以上にテンションが上がってしまって、普段はそんなんじゃないのに

やけにハイになっている、ということも僕自身よくあるような気がします。

 

直接的な言葉や表現は、そればかりを浴びていると自分で読み取ったり

解釈したりすることが減って、そのまま受け取るようになってしまう気がします。

そうなると言葉に溺れてしまって、感情が直接的な言葉に負けてしまう。

考えることができなくなってしまう。そうはなりたくないとどこかで思っているので、

間接的に語りかけて解釈する隙間を与えてくれる言葉を発してくれる作品を

自然と好むんだろうな、と思っています。

 

言霊って本当にあるような気がしているので、言葉の情報が溢れかえっている

現代、言葉の良い悪い、きれい汚いの問題ではなく、きちんと自分で

向き合った上で受け取っていきたいと思います。

 

(なんだかあんまりまとまらなかった…また書きます)